りすこの日記。〜高齢出産主婦、不調と付き合う〜

アラフィフになり、心身の不調も目立って来ました。まだ小さい子供達もいるし、めげずに乗り越えたい。ささやかな毎日を送れたら

低音障害型感音難聴、続き。

処方された薬を飲み、ひと月半位。

飲み忘れたりもし、またゴールデンウィークに入ってしまった。

この間、耳鳴りが大きくなったり耳の痛みがあったり受診したくなった時もあった。

コロナで出来るだけ控えたい病院受診も、そうも言ってられず、3回目の受診はゴールデンウィーク後。

 

聴力検査はそんなに悪く無いようだった。

そう言えば初回は結果の控えを貰ったけど、その後は貰ってない。

見ても良く分からないのだけど。

 

それでもまたイソバイド、メチコバールアデホスコーワが出て、1週間イソバイドを飲んで良くならないようなら来るように。

良くなってる感じだったら、イソバイドは飲まず、メチコバールアデホスコーワを続けて飲んで、なくなる頃(3週間後)来て下さい、と。

 

ストレスや疲れる事はあったか、まあ、今コロナでみんな辛いけど…と先生。

 

私はスーパーで働いていて、仕事自体はそれ程忙しくないのだけど、コロナにまつわる色々がストレスではある。

コロナの事が無かったら無いはずのストレス。

そう言うのもあるかな…

 

でも、元々メンタルの病気をして来ていたし、自律神経失調の症状にも今まで悩まされて来た。

だから耳鳴りもそういうのだろう、って放置してた。

そう言う話は先生にはしていない。

 

耳鼻科の診察室は広く、医師以外のスタッフも沢山いて話し辛い。

ここの先生は女性で50代位で、話しにくい雰囲気の人では無いのだけど。

何だか話せ無い。

つらつらと話せたら良いのだけど。

 

さて、またイソバイドを。

でも耳が塞がったような感じや痛みに耳鳴りが酷くなった日があったり、1週間のあいだ良くなった感じは無かった。

 

再び1週間後受診すると、検査は悪くなかった。

検査をする部屋に他の人がいて、その話し声が電話ボックス型の検査箱?にいる私にも聞こえてたりしたんだけど、悪くなかったよう。

 

でも耳鳴りや耳の痛みもあって、自覚的には悪くなってる感じがするから、さて、どうしましょうか…と先生は私の肩や背中を少し揉んで、耳に繋がってる肩の辺りからの筋肉が凝っているか診てくれた。

眠れていますか〜?など聞かれる。

血圧測定もした。

『あなたは恐らく、高くは無いと思うけど…』と。

103/72、夕方にしてはむしろ低めだと。

 

そして漢方が処方された。

ツムラ17番。五苓散。

10日分飲んで見て下さい、と。

 

メチコバールアデホスコーワも続けて。

 

……きっと更年期障害の症状なんだろう…

耳は問題無くても不快な症状はある、って言う。

 

 

低音障害型感音難聴。(蝸牛型メニエール病)

耳鳴りが1年以上前(2018年9月頃)から始まって、右耳。

その頃、睡眠が上手くとれなかったり、愛猫が死んだり、メンタル的にもキツかった。

これもストレスか、更年期障害の始まりか?とか思ってしまい、我慢。

寝る時など静かな所で『キーン』と割と高音の耳鳴りがする。

不調は耳鳴りだけで無く、色々あり、鬱症状が酷かったので耳鳴りの事で耳鼻科に行くのは億劫でもあり、今年の2月にやっと耳鼻科受診した。

 

聴力検査を受け、低音障害型感音難聴と言われた。

それも耳鳴りのする右で無く左。

左右差が結構あるとの事。

最近ストレスなど感じる事はなかったか?

疲れが酷いとか…

聞かれるが、疲労感はいつもあるし、この頃特に酷いとかは無いかな…

 

イソバイドとメチコバールアデホスコーワの処方。

イソバイドは1週間飲み、メチコバールアデホスは2週間。

 

水薬のイソバイド。

医師からも薬剤師からも『不味い、飲みにくい』と言われた通り、甘い香りが強く、甘いけど後味が苦いような、飲んだらすぐに水も飲むといくらかマシになる。

30mlを1日2回。

メチコバールアデホスは1日3回。

 

次に受診した3月は、コロナの事で患者さんも少く、世の中も自粛ムード、先の見えない不安で重くて暗い空気に包まれていた。

聴力検査では左右差が縮まっていると言う事で、イソバイドは処方されず、メチコバールアデホスのみ、1日3回分処方するが2回でも良いとのこと。

1ヶ月分貰う。

 

自覚症状としては聴こえの不調より耳鳴りやたまに耳が塞がったような感じがしたり、耳の中が痛くなる事がある。

そんな時は高い音がキツくなる。

 

ネットでも色々調べ、いつか回転性のめまいに襲われると言う『メニエール病』に移行したら厄介だなと思った。

吐き気がする程のめまい、などと言う記述を目にすると、恐怖だった。

 

 

 

 

高齢出産。娘が生まれてから。

39歳で娘を出産、41歳で息子を出産しました。

 

娘を出産した頃はそんなに不調を感じる事も無く、母乳育児を頑張っていた。

腕や腰が痛くなっていたけど、中々寝てくれないとか、体が弱いと言う事も無く育て難い赤ちゃんでも無かった娘。

私も母乳の為に良い食事を…と気をつけていたし、夫も家事に育児に一緒に奮闘してくれた。

…だから、二人目が欲しいと夫に言われた時も何とかやれるかなと思ったのですよね。

 

自分の年齢を思うと一人っ子でも仕方が無いかと思っていたし、娘の為に子育て広場とかお母さんの為の講座とか子育て講座とか、地域でやっている講座なども色々受けたりしたけど、元々社交的では無く、人付き合いが上手くは無い私は、無理して頑張っている、と言う感じで娘の為だからこそ出来ていたこと。

不安、緊張、疲れ。

そんなのも感じていました。

正直、働いていた頃の方が楽だったし、自分の事だけ考えたら娘が幼稚園に入ったら、パートに出たいと思っていた。

年齢的にも二人目が出来るのか、出来ても無事に産めるか、産後は?経済的に大丈夫か?

…不安も大きかったです。

 

それでも兄弟がいた方がとか、夫の希望とか家族としてどうなのか考えると、二人目も望む気持ち。

これはもう神頼みというか、授からなかったらそれも受け入れたいし、授かったら頑張りたい。

娘が1歳を過ぎた頃はそんな感じでした。

 

 

 

 

不調と付き合う。

昭和生まれ、高校1年生の時に平成になり、波乱万丈の平成を過ごした私も気が付いたらアラフィフに。

 

高齢出産の為、まだ子供達は小さい。

 

心や体の不調と付き合いつつ、モヤモヤと自分の中に溜めないよう、日記を書くような気持ちで綴っていけたらと思います。